文筆家の池田晶子さんの訃報を新聞で知ったのが一週間くらい前。
僕は池田さんの本を今まで何冊か読んで、そのたびに考えて、考えて、よくわかんない ということを繰り返してきた。 僕は考えるのがきっと下手で、池田さんの伝えたいことがよくわからなかったけど、池田さんの言葉の力は僕の人生に確実に影響を与えていると思う。 そんな池田晶子さんがお亡くなりになった。 最初知ったときは驚いた。早すぎる。 そして残念だと思った。 でも暗い気持ちにはならなかった。 池田さんは自分の死のことを真正面から考えていた方だ、ということをその著作で知っているからだと思う。 そして、むしょうに池田さんの書いたものが読みたくなって、今読んでいます。 そして、考えて、少しわかったと思えたことがあるので、書こうと思います。 無は存在しないか? 無ということは、ない ということ。ない ということは 存在しないということ。 だから無は存在しない。 でもなぜ存在しないことについて語れるのか。なぜ存在しないものを認識できるのか。 それは存在していたことを知っているから。 存在していないことそれ自体について語ったり、認識したりできないけれど 存在していたことを知っていれば「存在していたものが存在しなくなった」という形で語ったり認識できる。 例えば、一枚の紙があるとして、この紙の存在を知っているのは自分だけとする。これを燃やせばこの紙は存在しなくなってしまう。僕はこの紙が存在しなくなったことを認識できるけど、そのほかの人は認識しようがない。だって、存在していないのだから。
by aoisoradeneko
| 2007-03-10 12:33
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